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勝者への帰還

小径折畳み自転車B-M3型 組立てガイドの続き、鋭意準備中です。お待たせして申し訳ありません。
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バンクーバー・オリンピック?

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アメリカス・カップ その歴史 (1)~後編~

その(1)の後編です。

歴史、と仰々しく銘打ったものの、詳しい方々からすれば、なにを今更感あふれる内容なのですが、このレースについてまだまだ一般には知られていない残念な状況ですので、America's Cupに少しでも興味を持ってもらえるよう、微力ながら自分もその魅力の一部を紹介させていただくことにします。

歴史編は、毎回、時代ごとのエピソードとそれにまつわる模型のお話、という構成でお送りします。

なお、私の稚拙なえんぴつ画カットへの、似てないっス、とかの至極まっとうなツッコミは勘弁してくださいませー。

ワ、ワンフェスの準備も継続中ですー



■すべてのはじまり - 1851年 8月22日 イギリス・ワイト島一周レース

第一回万国博覧会がイギリス・ロンドンにて行われていた年、1851年。
(ちなみに日本では江戸時代末期、嘉永四年。ペリーが浦賀に来航する二年前。)

この前年、イギリス南端部の島ワイト島北端の街、カウズに本拠を置くヨットクラブ、ロイヤル・ヨット・スコードロン(RYS)から、設立されて間もない、アメリカのニューヨーク・ヨット・クラブ(NYYC)へ、ヨット・レース招待の手紙が届けられた。そこには、ニューヨーク港でそのスピードが有名なパイロット・スクーナー(港に着く大型船にいち早くアプローチし、水先案内の仕事をこなす小型帆船)を、イギリスに招いてレースをしたいという内容が記されてあった。

それほど挑発的ではなかったのかもしれないが、ニューヨーク側は挑戦状と受け取ったようだ。これを受けて、NYYCのジョン・コックス・スティーヴンス会長は、クラブの5人のメンバーとともにシンジゲート組織を結成。新進気鋭31歳の若きヨット・デザイナー、ジョージ・スティアーズに新艇の設計を依頼し、世界一の快速ヨットを目指し建造を開始。寒波で完成が一ヶ月遅れたものの、1851年5月3日に無事、進水式が行われた。

そして彼らは、完成したその船に、誇りと自信をこめて、
”America” と名付けたのである。

この時すでに、ヨットクラブ間の私的な勝負でありながら、船に国名を冠し、ある意味国の代表としてイギリスと戦う、という意識が強く働いていたのかもしれない。
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<左> ジョン・コックス・スティーヴンス(1785-1857) と、ジョージ・スティアーズ(1820-1856) 
スティーヴンスは、NYYC初代会長で、"America"号、6人のシンジケート代表。
競馬やヨットレースに、莫大な金を賭ける人物であった。"America"号のこのレースにおいてもメンバーは自艇に賭けたが、評判が高まり過ぎ、賭け率が下がり大金を手にし損ねた、といわれている。
スティアーズは、31歳のとき"America"号の設計を手がけたヨットデザイナー。しかしその完成の5年後、36歳の若さで亡くなった。それにしても、肖像からうかがい知れるその表情は、自信に満ちあふれている。


完成した”America”号は、全長101ft(約31m)、全幅22ft(約7m)、排水量170トン。

イギリス他の艇にくらべ、シャープな船首形状をもち、後ろに傾いたマストが特徴的であった。
セール(帆)も、イギリスでは重い亜麻製帆布を用い、風を受けて膨らむ形状であったのに対し、"America"のセールは、軽い機械織り綿布を用い、スムースに風を受け流す、板状のシェイプを持っていた。
当時としては、まさに革命的先進性を持った船であったといえる。
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建造中のこの船を視察したイギリス人は、
「この船は、芸術的姿をしている。しかし、完成されている造船の概念を逸脱している。」
と評したという。
このような評判と共に、アメリカのシンジケートメンバーが、「我々が勝利する」と喧伝したため、イギリスでは大いにこの船と、そのレースに人々の注目が集まることとなった。

そして6月21日朝、"America"号は、ニューヨーク・イーストリバーを出航。
20日間かけて、大西洋を横断、フランス・ルアーブルに到着、白い船体を黒く塗り替え、レース用の帆装を施し、7月31日、霧立ちこめる夕刻、イギリス、ワイト島・カウズに乗り込んだ。
イギリスの新聞は連日この船とレースについて書き、人々の興奮を煽り立て、到着の次の日には見物人が海岸にひしめいたという。

"America"号の評判を聞き、また目にしたRYSのメンバーは、何かと理由を付け、この船をレースに参加させない工作を行った。(貴族のたしなみたる個人所有の船しか認めない、と。この時の屈辱的扱いがきっかけで、後に、アメリカ側は、カップに対し”いかなる国のクラブも挑戦する権利がある”と宣言することとなる。)
しかし、スティーヴンス会長の懇願がかない、レース参加がみとめられることとなった。

かくして、1851年8月22日、RYS 100ギニー・カップと名付けられたレースが行われることになった。


大きな地図で見る
レースコースは、ワイト島北端カウズ沖を出発し、時計回りに島を一周、約59マイル(95km)。
参加艇は、さまざまな大きさのイギリス14艇(諸説あり)に、特別参加の"America"号。

時に万国博覧会が開催中で、ヨーロッパ中の各界著名人が観戦に訪れ、また多くの群衆がワイト島に押し寄せたという。さらに、カウズでの行事に関連して訪れていた、イギリス・ヴィクトリア女王も王室蒸気船上にて観戦する、ということとなった。

もしかしたら、人々のその熱狂の程は、現代のサッカー国際戦のスタジアムの興奮と同じか、もしくはそれ以上の熱量が、この島全体を覆っていたと例えられるのかもしれない。
もはや、スポーツ競技という枠を超えて、海洋国として世界の覇権を争う伝統国イギリスと新興国アメリカ両国の威信をかけた戦いの様相を呈していた。

午前10時、スタートの号砲が鳴る。
もっとも遅れてスタートした"America"は、15分ほどで4番手に付ける。
午前11時過ぎ、ついにトップに立つ。
途中アクシデントに見舞われたりしたが、抜群のスピードで他艇をその視界から消し去っていく。
誰の目にも、"America"の勝利は明らかだった。

島の西端、ニードルス岬をこえたあたり、日没が迫った時間。
この海域の船上で観戦していたヴィクトリア女王が、王室船船長パゲット卿と交わしたとされる、伝説的な会話。

「Who is fast?  (先頭の船は?)」
「"America".  ("America"でございます。)」
「Who is second?  (では、2位は?)」
「There is no second, Your Majesty.     (女王陛下、2位はございません。)」

この会話が実際に交わされたかどうかに、歴史的確証はない。
しかし、この時のアメリカ海洋技術の圧倒的勝利を明示し、後のAmerica's Cupにおけるマッチレースとしての1対1の戦いを象徴する言葉として、永く語られることとなるのである。

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このレースに勝利した"America"号のシンジケートへ、RYSから優勝杯として、王室御用達宝飾店から購入した100ギニー(金貨の100ポンド=純銀約2800グラム)トロフィーが贈られた。

そしてその後、この優勝カップは、"America"号のCup、つまり、
America's Cup(アメリカス・カップ)と呼ばれるようになった。

前編でも記した通り、シンジケート・メンバーたちは、贈与証書(デート・オブ・ギフト)にカップを争う自由精神を記し、ニューヨークYCにこのカップと共に寄贈する。

かくして、2007年で32回を数える、世界最高のヨットレース America's Cup、その誕生の瞬間である。

この後、ある時は美しく、またある時は醜悪な、このCupをめぐる様々なドラマが展開されていく。



■モケイのお話。


ここからは、模型の話。
アメリカ海洋史・スポーツ史において重要な位置を占めるであろう、この”America”号なのですが、プラモデルとしては、アメリカ・Revellから”YACHT AMERICA”として発売されていました。

昔のRevellは、アポロ計画ものや、大戦ものなど、まるで歴史博物館のように、世界の歴史上重要な造形物を数多くキット化してリリースし、世界の模型界を牽引していたメーカーのひとつです。
そんな勢いあるRevellが、自国の歴史の一ページを飾る記念碑的船をキット化するのは、ある意味当然の選択であり、また義務的使命感もあったのかも知れません。

そんなこのキットが発売されたのは、確証はありませんが、1960年代後半ごろだと思います。

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"America"号の帆装を示す絵画や写真は結構現存するのですが、どれも少しづつ違いがあって、資料的には悩むところです。これは、この船が、1851年のレース後、売却され改修をされたりして、1945年に解体されるまで長寿を保ったせいもあると思います。

ちなみに、この船の経歴を調べてみると。
 ・1851年9月(レース直後)、高値で売れるうちにと、イギリス人に売却。(なんかひどい。)
 ・1856年、RYSメンバー、テンプルトン子爵に売却。船名を"Camilla"と改名される。
 ・その後、幾人かに売却されてアメリカに渡り、南北戦争に従軍し、活躍。
 ・1873-1893年の間、アメリカの政治家、ベンジャミン・バトラーが所有。
 ・1917年、NYYCメンバー、チャールズ・フォスターの会社に売却される。
 ・1921年からは、アメリカ海軍兵学校の練習艇として、その生涯最後の役目を果たす。
 ・1942年3月29日。メリーランド州アナポリスにて、記録的な吹雪の為、格納庫が崩壊し、破損。
 ・1945年。第二次大戦終戦のこの年、解体され、95年の生涯を終えた。
  船尾に輝いていた鷲の紋章は、現在NYYCのロビーに飾られている。
(なお、1967年に建造されたこの船のレプリカ船は、オークションにかけられたりしつつも、現在でも海上でその在りし日の姿を現代に伝えています。)

そんな歴史のあるこの船ですが、現存する1851年10月に描かれた図面がレース時にもっとも近い姿を示したものだろうと推測できます。このキットは、不明点が多々あるものの、この図をもとに設計されているようです。


で、このキット。
スケールは1/56。船体全長は50㎝近くあります。アメリカンなサイズ。デカイ。
説明書も無駄にデカイ。A2サイズで二枚も。テーブルに敷いて、この上で工作シテクダサイ、ていうことでしょうか。
古いキットですので、パーツは少な目で、甘い部分もあるのですが、作り込めばいい感じに仕上がりそうです。なお、海外の方が作られた完成例が、こちらで見られます。
セール(帆)は、プラのバキュームフォーム成型。

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で、私の持ってるこのキットですが、外箱と説明書は日本で作られたものです。
おそらく、グンゼあたりが1970年代に輸入販売したものかもしれませんが、輸入業者の記名が一切ありません。
外箱には、箱ヨコに”ヨット・アメリカ”とだけ日本語で書かれており、箱の解説文とかは英語のままです。ですので、当時、アメリカス・カップについて一般にほとんど知られていなかった日本において、この船のストーリーも知らず店頭で購入した模型ファンはどれだけいたんだろう、と少しションボリな気持ちになります。せめて、船の由来とかは、箱横に日本語で書いておいて欲しかったなあ。でも、昔の模型屋は、箱にテープ貼りとかしてなくて、お店のおじさんに頼めば、中を見せてくれたりしたんだっけ。

このキットも、あこがれの輸入大型キットとともに模型屋の主のように棚の上の方に置かれていて。
金額的にも、背丈的にも、手のとどかないこどもたちは、ただ、見上げるのみ。いつかはきっと、って。
そんな、失われた模型店の風景を夢想してみる。少しセンチメンタルな気分。

あと、でかい説明書ですが、戦記もの等の著作がある藤井冬木氏の詳細な解説文が載っています。これは素晴らしいです。また、国産プラモデル草創期において、マルサン等の数多くのキットの設計やボックスアートを手がけられた橋本喜久男氏が、説明書全体のディレクションをされています。

パーツのモールドは凸なのですが、木目、リベットとかなかなか味わいある仕上がりになってます。

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いずれ、じっくりと手を入れて完成させたいですね。

あと、帆船キットといえば木製帆船模型だろ、ということで、イタリアのmamoli社からも、この”America”のキットがでています。こちらは、今でも手に入るかもしれませんね。


というわけで、アメリカス・カップ、その草創期のお話でしたー。
次回の歴史は、"富豪のあくなき挑戦とJクラスの時代"、をお送りしますー。


[参考文献]
  『アメリカス・カップ その歴史と栄光』 小島敦夫著
  『写真記録 アメリカズ・カップ』 ジョン・ルーマニエール著
  『舵』  2006年2月号
  『ヨッティング』 1995年2月号
  『ニッポンチャレンジ アメリカズ・カップ2000 オフィシャルメモリアルブック』
  Revell 『ヨット・アメリカ 組立説明書・解説』 藤井冬木著

アメリカス・カップ その歴史 (1)~前編~


■史上稀にみる激戦
 

2007年7月3日。戦いの地は、スペイン・バレンシア。
世界最高峰のヨットレース、アメリカス・カップ、1870年から数えて第32回、そのファイナル第7戦が行われ、前回王者、スイスのアリンギが、エミレーツ・チーム・ニュージーランドにわずか1秒差で勝利、通算5勝2敗でその挑戦を退け、2003年に史上初めてヨーロッパに渡ったカップを防衛しました。

あと一歩およばず - 海無き内陸の地から、本来あるべき、海洋文化の海辺へ - 
カップの帰還は、実現しませんでした。

近年、ファイナルは、どちらかが圧勝することが多いのですが、07年はドラマティックで手に汗握る素晴らしい接戦のレースが繰り広げられました。
なのに。
日本ではテレビ中継は無く、新聞、ネットでも情報がまばらな状態。。
(後日、衛星放送にて、ファイナルのダイジェストは放送されましたが。)
やはり、ヨットレースはマイナーで、見たことない方が多いですよね。
でも、映像で見ると、その迫力は伝わるハズ


ファイナル第7戦のゴールシーン。リードしているニュージーランドがペナルティを消化するため、ゴールライン手前で360度ターン、そして2艇がほぼ同時にゴールへ!

"Alinghi!  アンビリーバボー!!” ノー!!!




■America's Cupとは。

アメリカス・カップは、スポーツ界最古の優勝カップ、と言われています。
1851年、イギリスでのヨットレースに勝利したアメリカ艇に銀製のカップが贈られました。
これが、後日、America's Cupとよばれることになるのです。
レース後、アメリカ艇のオーナー達は、ニューヨーク・ヨットクラブ(NYYC)にこのカップを寄贈し、その際、贈与証書(デート・オブ・ギフト)と呼ばれる文章が添付され、それが現在まで受け継がれる、アメリカス・カップ憲法となりました。

その内容は、

  ●カップは、永久に、国際間の友好的な競技の為に使われる
  ●あらゆる国のヨットクラブも、カップ争奪のマッチレースに参加する権利がある
  ●カップは個人のものにはならず、勝利したヨットクラブに帰属するものである

という基本精神が記されています。

これを受けて、海洋国の誇りを賭け、莫大な費用と最先端の海運技術を費やしてのカップ争奪戦が行われるようになったのです。
このカップの奪取・防衛を目指し、1870年に第1回のレースが行われました。
そして、1983年の第25回America's Cupにおいて、オーストラリアのロイヤル・パースYCに奪われるまで、アメリカのNYYCは挑戦艇をことごとく退け、132年もの間、カップを守り続けたのです。


その後カップは、

1987年に再びアメリカのサンディエゴYCへ、
1995年にはニュージーランドのロイヤル・ニュージーランド・ヨット・スコードロンへ、
そして2003年にスイス、チーム・アリンギ所属のソシエテ・ノティーク・ド・ジュネーブへ渡り、
2007年もスイスが防衛、
と所有クラブが移り変わっていきます。


特に、1983年、史上初めてカップルーザーになったD・コナーが、87年フリーマントルにおいてカップを奪還するストーリーは劇的で、Cup史上、ハイライトとなる出来事でした。(この時の艇も作りたいなあ。)


なお、日本は、ニッポン・チャレンジ・チームとして、1992年、1995年、2000年と続けて3回参戦しています。

さて、上記しているとおり、レースは基本、1対1のマッチレースで行われます。

挑戦者が多数の場合、挑戦者決定戦レース、近年では、ルイ・ヴィトン・カップと呼ばれるレースが行われ、ここで勝ち上がった1チームが、防衛艇とファイナルのマッチレースを行うのです。また、防衛側も、同じヨットクラブから複数のチームを出場させ、競わせて防衛チームを決めるレースが行われる場合があります。

あくまでも、ヨットクラブ間の競技なので、国対国の争いではありません。同じ国から、複数のクラブが挑戦者としてエントリーすることも多いです。だから、国の代表ではない。
(ちなみに、2007年の出場チームは、こちら。)
2007 001
また、レースの開催場所、時期等は防衛クラブ側が大きな決定権を持ち、挑戦側代表と話し合って決めます。
(近年は3~5年ごとに開催されている。)
お、2007年は、スイスには海が無いので、スペイン・バレンシアにて開催されることになったのです。

まあ、America'sCupとは、たとえるなら、戦う単位でいえば、サッカーのワールドカップというよりはチャンピオンズ・リーグ、争うプロセスでいえば、ボクシングのタイトルマッチ、といったところでしょうか。


ヨットのレギュレーションは、1992年から、国際アメリカスカップ・クラス(IACC)という統一規格が採用されています。(2007年までで、次回以降は新規格で争われる予定。)
近年では、船体全長はおよそ24m、幅4m程、マスト高およそ33m、くらい。エンジン等の機関はもちろん無しで、搭乗員は17人。居住空間的なスペースは一切無く、純粋なレーシング・マシン。

まだまだ説明不足ですが、概要としては、こんな感じでしょうか。


それでは、歴史を紐解く、後編へと続きますー。


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